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淀川の歴史

昭和以降の治水の取り組み

■淀川水系改修基本計画(昭和29年〜)

昭和28年、台風13号が襲来し、明治、大正、昭和初期の降雨量を上回る大雨によって全国規模で水害が起こりました。それまでの後追い的な洪水対策ではなく、水系全体を見据えた根本的な治水対策が必要とされ、淀川水系を含む全国の10河川で治水計画の見直しが進められました。この時、利水や発電などを含めた「河川の総合的な開発」という考え方が取り入れられました。淀川では、昭和29年11月、流域全体の治水対策について取りまとめた「淀川水系改修基本計画」が策定されました。

昭和28年の洪水による宇治川左岸堤防決壊(向島地先)

ダムによる洪水時の流量調整の導入 堤防の高さを上げる治水対策は、同時に堤防の幅を広げる必要があります。このため、川に隣接する住宅地などの用地取得をしなければならず、従来の治水対策には限界がありました。そこで、洪水に備えるため、上流のダムで流量を調整して下流の水位を低下させる方式が導入されました。計画高水位の検討には確率論が導入され、淀川本川は100年に1度起こる可能性のある洪水を想定し、ピーク時の流量8,650m3/sを一部上流のダムなどで調整し、計画高水流量を6,950m3/sに設定しました。同様に宇治川、木津川、桂川ではそれぞれ900m3/s、4,650m3/s、2,850m3/sとしました。また、洪水時の流量を調整するダムとして宇治川上流の天ヶ瀬ダム、木津川上流の高山ダムの整備が行われました。

淀川改修増補工事(昭和29年〜)の計画高水流量配分図

宇治川、木津川、桂川および淀川本川の改修
既存の計画に加え、淀川本川では芥川などの重要支川を本計画に含むこととし、宇治川では観月橋上流から宇治橋上流までの区間において河床の浚渫や築堤などを行いました。木津川上流(上野盆地)や桂川上流(亀岡盆地)でも治水対策の検討が行われました。

琵琶湖からの放流量の拡大と沿岸の水害軽減
琵琶湖沿岸の水位上昇を緩和して浸水被害を軽減するため、琵琶湖から流れ出る唯一の川である瀬田川を浚渫して、琵琶湖からの放流能力を向上(琵琶湖の水位0mの時の放流量を600m3/sに拡大)させました。また、昭和36年、明治建設の瀬田川洗堰の直下に新しい瀬田川洗堰を整備し、堰の閉鎖・開放を電動化しました。これにより堰を閉鎖・開放する時間が短縮され、上下流の安全性が高まりました。

天ヶ瀬ダム
■淀川水系工事実施基本計画(昭和40年〜)

昭和34年の伊勢湾台風により、木津川で昭和28年の台風13号を上回る洪水が発生したため、淀川水系改修基本計画に木津川のダム計画が追加されました。また、水系での総合的な対応、水利調整、ダムの管理規定などを定めた新河川法が昭和39年に制定され、翌年に「淀川水系工事実施基本計画」が策定されました。その後も、上野(木津川)や亀岡(桂川)などの上流部で相次いだ浸水被害や、淀川流域の人口・資産の増大によって、さらなる安全度向上が必要となり、同計画は昭和46年に改訂されました。

昭和34年台風7号による出水(淀川本川枚方地点) 昭和34年台風7号による出水(京阪電車橋梁付近木津川1.6k)

<概要>
計画高水流量の引き上げ(200年に1度の洪水への対応)

改訂された計画では、基準点の枚方で概ね200年に1度起こる可能性のある洪水を想定し、洪水のピーク時の流量17,000m3/sの一部をダム等で調整し、計画高水流量をこれまでの約1.7倍となる12,000m3/sにしました。また、河川の正常な機能を維持するために必要な流量として、枚方地点において灌漑期に概ね140m3/s、非灌漑期に概ね120m3/sが設定されました。

洪水調節と利水を目的とした上流域の多目的ダム整備と瀬田川洗堰の放流能力の増強
上流に室生ダム(宇陀川)、比奈知ダム(名張川)などのダム群が計画・整備され、治水面で淀川流域の洪水調節に貢献し、同時に利水のための水源として活用されました。
また、木津川上流の岩倉峡上流部の浸水被害軽減のために上野遊水地が、猪名川流域の洪水対策のために一庫ダム(猪名川)が、桂川上流の亀岡盆地の洪水対策のために日吉ダムが整備され、上流部や支川の治水対策が実施されました。さらに、瀬田川洗堰付近の浚渫を行い、流下能力を800m3/s(琵琶湖の水位0m時)に増加させ、琵琶湖や淀川流域の治水安全度の向上を図りました。

堤防の強化、低水路の掘削、拡幅、護岸等の施工
全川に渡り、堤防の拡築、拡幅等が行われました。淀川中流部等では川幅の拡幅は行わず、堤防の内側(街側)に盛土を行うことで、堤防を強化しました。また、コンクリート等による護岸の整備・強化を進めるとともに、低水路の掘削等を行いました。

淀川改修増補工事(昭和46年改訂)の計画高水流量配分図
水位を抑えながら流量を増やしていった昭和(戦後)の取り組み

大正・昭和(初期)は、想定を超える洪水に見舞われるたびに、それに対応するために堤防を高くしてきましたが、それまでの洪水をさらに上回る昭和28年の洪水によって、再び甚大な被害が発生してしまいました。淀川の計画高水位を上げて堤防を高くしたり、川幅を広げることは昭和初期以上に困難だったため、淀川水系改修基本計画では、淀川流域ではじめて上流のダムの洪水調節によって水位を低下させる方法がとられました。
淀川流域ではその後も洪水が頻発し、計画高水位を上げずにより多くの水を流すための対応が求められました。そこで、淀川水系工事実施基本計画においては、舟運が衰退した淀川下流では低水路幅の拡幅などによって流下能力を向上させ、上流では水資源開発にあわせて計画的にダムを整備し、ダムから下流の洪水流量を低減させました。また、計画高水流量を引き上げ、より大きな降雨に対応できるようにしました。この結果、淀川では計画高水流量は淀川改良工事と比べて2倍以上になりましたが、計画高水位は昭和14年の淀川修補工事以降、約70年間、上がっていません。

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